2008年09月23日

『ヨイトマケの唄』に なだそうそう

私がよく訪問する動画サイト YouTube が、マイナー・リニューアルとでも言うのか、使い勝手がコロコロ変わって戸惑いがちなんですが、その中でもトップページに行ったりすると表示される【あなたへのおすすめ】というのはいいですね。今まで聴いたこともないものが紹介されていて新たな音楽との出会いが増えそうです。

昨夜は Eric Clapton という名前しか聞いたことのないミュージシャンのものを聴いたみたら結構趣味が合いそうです。そして、今朝はそのおすすめを見ていたらいつの間にか「ヨイトマケの唄」が出てきて、すっかりそれにはまってしまいました。

この唄は【美輪明宏】さんが1965年に発表して大ヒットした曲だそうで、私も子どもの頃よく耳にした覚えがあるんですが、何しろ子どもだったので「泥臭くてカッコ悪い歌」という印象しかありませんでした。

が、1年くらい前だったか、テレビで【槇原敬之】さんが歌うのを見て感動したことがあったんですが、きょうは本当にさまざまな方が歌っているのを聴いて、それを聴くたびに涙をボロボロこぼしていました。【桑田佳祐】さんとか【泉谷しげる】さんとかも歌っているので、検索して是非聴いてみてくださいませ。

歌がつくられた背景については↓これを見るとよくわかります。




体の小さな母親が家族を養うために男に混じって肉体労働をする姿を、小学生の時に目撃した息子の気持ちや、家族のために命を削って死んでいった母への思いが切々と歌い上げられています。

最近、家族を殺したというニュースを頻繁に見聞きしますけれど、誰もが心の底で望んでいるであろう、この歌のような家族になるにはどうしたらいいんでしょうね。親が懸命に働く姿を見るというのは大事なことなんでしょうけれど、そういう機会ってなかなか作るのが難しいそうです。

私は結婚して夫の給料を全部あずかるようになって、だんだんそれが当たり前になり感謝も薄れ、お金の使い方で夫に注文をつけるようになり、ふと立ち止まっては、働いてお金を得ることの大変さを思い出して反省し、おバカなので時間がたつとまた忘れを繰り返しています(^_^;)。

まずは自分が、ストレスの掛かる職場で我慢しながら働いている夫に、もっと感謝を表さねばと、きょうもちょっと反省・・・でも実行はムズカシ〜。

(1年半も放置していたこのブログ。今でもいくらかのアクセスがありますね。申し訳ないので、9/23に書いた文章ですが、きょう10/2に公開させていただきました。なんだかブログの仕様も変わり、書き込み方法を忘れがちですが…)
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2007年04月17日

ヤンキー先生:さらに追記

義家さんは、一見、正義の味方に見えますし、人をひきつける魅力もお持ちで、彼を慕う人も多いようです。

たとえ、不都合なことを隠すためにその場しのぎのうそを重ねたり、よく考えられていないように思える持論を何度も強く主張したり、その場その場で意見がコロコロ変わったとしても、それが単なる一般人であれば特に問題にされることもないかもしれませんが、たびたび教育者としての権威を振りかざしながら語っているからには、言行が一致していることが求められるはずです。
マスコミに出始めは、当時担任していた女生徒と交際し、妊娠、退学させたが、結婚したことで「責任を取った」「純愛だった」と主張。→結婚の経緯

教育委員会が進めているスクールセクハラ対策(教師と異性の生徒が校内で二人っきりになることを避けるように指導する)に反対。理由は「教師を信頼して家出してきた女生徒がいた場合、他の教師を呼んだら信頼関係が壊れる」。(週刊文春)→迷言・珍言集

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2007年04月16日

ヤンキー先生:追記

きょうになって、義家さんの実像を知る卒業生、塾の生徒、関係者の書き込みを見つけました。やはりそんな感じなんでしょうねという納得の証言です。

ヤンキー先生(懐疑派BLOG:)
↑こちらのコメント欄:約1年前、高校を退職(解雇?)する直前のものです。

私はドラマも本の内容も知らないですが、ご本人とはかけ離れたイメージが作られて一人歩きをしているのでしょう。家族を階段から突き落としたり、入院するほどに痛めつけていた人が、突然ふつうの人になることは相当難しいことでしょうし、人の本質的な部分はあまり変わらないように思います。

子どもにケータイを持たせるのは良くないと言いながら、ご自分は現にいま、有料ケータイサイトで相談に乗ったりしているのですから、言っていることとやっていることが違いすぎます。

教育委員というのは、私のイメージでは長年教師をして、校長にまでなった方が退職後になるものと思っていました。それが、たった6年の教師生活でしかも担任したのは1クラスだけ、しかも現在は教師というより芸能人であって、ケータイサイトを運営し、ラジオやテレビに出演し、講演を忙しく行っているわけですから、そういう方が教育委員をしているというのはまったく似つかわしくないですね。

どうしてこうした展開になったのかは知りませんが、なんだか悲しくも痛々しい話です。
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2007年04月14日

ヤンキー先生は今でもヤンキー??

「ヤンキー」という言葉は私の辞書にはない種類の言葉なんですが(^_^;)、昨年あたりからテレビや新聞で目にする機会が増え、辞書で調べて分かったような分からないような感じですが、一応「フリョー」という意味に捉えておきました。

で、ヤンキー先生こと義家弘介(よしいえひろゆき)さんについては、熱血教師で、学校からいじめをなくすために尽力している誠実な方との印象を持っていました。NHKテレビでも、いじめを苦にリストカット(手首自傷症候群)を繰り返す女生徒を訪問して、共感し励ましている様子も目にしましたし、新聞の好意的な特集記事についても読んで、「へ〜っ、こういう方がいるんだ〜」と温かい気持ちにもなっていました。

ところがいつだったか、「きっこの日記」のきっこさんが、この方についてなんだか良からぬことを書いていたことをふと思い出し、ネットを検索してみると、意外なことが分かってきました。
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posted by 野バラ at 19:20| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記

2007年02月06日

「世間が悪い、社会が悪い」?

ネットのリンクをたどるうち、興味深いサイトに出会うことが結構あります。その中の一つ、「霊性と情熱のあいだぐらい」。「冷静」ではなく「霊性」というところがサイトの性格を表していますが、しばらくぶりに訪れて先ほど読んだのが1月25日の「運命の受諾」という記事です。
運命はプラス思考ごときで変えられるほど軽くない。
人は良い運命に出会うと自分の手柄のように思い天狗になる。悪い運命に出会うと「世間が悪い、社会が悪い」と騒ぎ立てる。
そこには「運命の受諾」という精神が欠けている。

運命を受け入れるとすべてが必然に思え「これにはどんな意味があるのか」「何のために与えられたのか」と考えるようになる。すると自然にプラスの方向に考えられるようになり、生きるのが楽になる。
だから運命を拒否したプラス思考なんてのは長続きしない。運命を受諾することから生まれてくるプラス思考こそが新たな運命を創る力になる。
仏教用語の「他力本願」とは、本来他人任せという意味ではなく、自分の運命を受諾することだそうです。五木寛之さんが「他力」という本を書かれていると思いましたが、たぶんこの本来の意味で使われているのでしょう。

私自身はというと、「自分がこういう状態なのは、親や社会が悪いからだ」と責任転嫁するよりも、私に悪いところがあるのではないかと反省ばかりし、自分で自分の人生を切りひらいていこうとする気概もなく生きてしまい過ぎたなあと、少し方向転換したところです。ホームページを作って駄文を書き始めたのもその一つの現れなんですが…。

でも、筆者のスイレン禅師さんがおっしゃるように、「自分は悪くない。悪いのは世間だ」と言ってみたり、「自分にはチャンスがなかった」と他人をうらやんだりする方は多くなっているようですね。反省しない、謝れない、他人をねたむ、そねむというのは、端から見て気持ちのよいものではありませんし、それでは人格的成長もあり得ないでしょう。

自分の言動に対してなんらかの否定的な反応があるとき、その原因がなんなのかを突き詰めて考えてみると、意外な発見があるものです。あまり自虐的でもよくありませんが、「他人を批判するのは大好き、でも批判されるのはまっぴらご免」という人間にはならないようにしたいものですね。
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2007年01月19日

空気が読めないとは?

「空気が読めない」という言葉は一般ではいつごろから使われるようになったんでしょう。私が初めて聞いたのは4、5年前でしょうか。うまい表現があるものです。国語辞典には意味は載ってないようですが、もしかしたら新解さんなら載ってるかもですね。

空気とは雰囲気のことなんでしょう、たぶん。他人の気持ちを敏感に察する能力のこと。私はこのあたりが弱点かなという懸念は恥ずかしながらあります(^_^;。でも段々年と共によくなってきているとは思っているんですが…。他人から見るとゼンゼンかもしれないですね。うん、たぶんそうです。

空気読めない人とはどんな人なんでしょう? 私が思うに、あまり能力もないのに、自分は天才か秀才と思い込んでいる人とかでしょうか。あとは聞かされる側の気持ちも考えずに自慢ばかりする人とか、自分に誇れるようなことがなければ、遠い親戚を自慢したり、著名人とちょっと会話したことがあるのを誇ったり、皮肉を言われているのに褒められていると勘違いしたり、ひんしゅくを買っているのに自分は人気者だと思ったり…。そんな人でしょうか。

共通するのは自分中心にしか物事を考えられない人ということかもしれないですね。その原因が、他人と親しくつきあうこと機会が少なかったというだけなら、その人は経験を積むうち改善されるかもしれないですが、人によっては死ぬまで変わらないなんていう人もたぶんいるでしょう。

きょう1月19日の松下幸之助「一日一話」には人情の機微を知ると題して次のようなことが記されていました。
人情の機微を知るにはどうしたらいいか。それはやはり、いろいろな体験を通じて、多くの人びととふれあうことである。そうした体験に立ちつつ、常に素直な目で人間というものを見、その心の動きを知るということが大切だと思う。
人生の半ばをとっくに過ぎた私ですが、こういう人生勉強をする機会が少なかったので、まだまだ修行が必要だなと思いますね。
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2007年01月18日

XHTMLを初めて勉強する

最近ブログのデザイン変更に、スタイルシートだけでなく、HTMLも編集している。といっても、seesaaブログと同じプログラムを利用している、このさくらブログは、厳密に言うとXHTMLらしい。ページソースのトップは<?xml version="1.0" encoding="Shift_JIS"?>となっている。

HTMLについては、一部を除いてほとんどのタグを使ってみたことはあり、だいたいは分かるので、XHTMLも似たようなものでしょうと考えて適当に修正していた。が、改めてとほほのWWW入門内にあるアラカルト>雑学>XHTML入門を初めてのぞいてみたら、「HTML4.0」と「XHTML1.0」の相違点が列記されていて、タグはすべて小文字で書くとか、終了タグのないものは、例えば改行であれば<br/>このように、スラッシュを入れなければならないなどという重要なことに気がついた。

ところで、InternetExplorerとFireFoxでは、どうしても表示が異なって、姉妹ブログの「もっと視野を広げて…」では、ページ全体の中央寄せがFireFoxで表示できなかった。スタイルシートのトップに body { text-align:center;とあるのに…。それで、HTMLの<body>の次に<center>を入れてみたら、なんとか中央寄せになった。でも<center>はあまり勧められないタグではないのかしらね〜?どうすれば一番いいんでしょ。

なにはともあれ、HTMLの編集ができると、お気に入り登録したときのアイコン(FavIcon)も表示できるし、何かとカスタマイズができてうれしい。さらにXHTMLを勉強していくことにしましょ!
posted by 野バラ at 10:45| Comment(2) | 日記

今は亡き文学者たち

ネット書店で検索していたら、中高生のころに読んだ田中澄江さんの名前を見つけた。『かしこい女性(ひと)になりなさい』『女の一生に悔いなし―これからの人生を、強く歩む生きかた 』『老いの始末―死ぬことは怖くない』などの、元気づけてくれそうなタイトルが並んでいる。

さらに検索していたら田中澄江さんのお墓を見つけた。遠藤周作さんと同じ府中の墓地。カトリック信者だったとは知らなかった。

文学者掃苔録図書館には、興味を引かれる文学者の名前がたくさん並んでいる。
有吉佐和子:53歳、私といくらも変わらない年齢で亡くなっている!
樋口一葉は24歳のとき結核で亡くなり、金子みすゞは26歳で自殺。数年前、あるデパートの金子みすゞ展で「みんなちがって、みんないい」という詩を見たのが印象に残っている。頑張って生き続けていたらもっといい人生が待っていたはず。自殺は残念ですね。
茨木のり子:「ひとは生涯に何回ぐらいさくらをみるのかしら」という言葉には人生の短さを思わされた。
池田満寿夫さん:ある日帰宅すると、愛犬がじゃれついてきて転倒し、亡くなった。死はあっけなく突然に訪れる。
高橋和巳さん:「白く塗りたる墓」という、聖書から取ったタイトルの本を読み、私は聖書に興味を持った。私が読んだころにはすでに病死(1971年)していたらしい。

長い人生、短い人生、いろいろある。田中澄江さんは91歳まで生きたけれど、「もう十分に生きたという気が全然しないのです」と語ったとのこと。

突然やってくる死。私はだれかの心に、何かを残すことはできる?
posted by 野バラ at 07:30| Comment(0) | 日記