運命はプラス思考ごときで変えられるほど軽くない。仏教用語の「他力本願」とは、本来他人任せという意味ではなく、自分の運命を受諾することだそうです。五木寛之さんが「他力」という本を書かれていると思いましたが、たぶんこの本来の意味で使われているのでしょう。
人は良い運命に出会うと自分の手柄のように思い天狗になる。悪い運命に出会うと「世間が悪い、社会が悪い」と騒ぎ立てる。
そこには「運命の受諾」という精神が欠けている。
運命を受け入れるとすべてが必然に思え「これにはどんな意味があるのか」「何のために与えられたのか」と考えるようになる。すると自然にプラスの方向に考えられるようになり、生きるのが楽になる。
だから運命を拒否したプラス思考なんてのは長続きしない。運命を受諾することから生まれてくるプラス思考こそが新たな運命を創る力になる。
私自身はというと、「自分がこういう状態なのは、親や社会が悪いからだ」と責任転嫁するよりも、私に悪いところがあるのではないかと反省ばかりし、自分で自分の人生を切りひらいていこうとする気概もなく生きてしまい過ぎたなあと、少し方向転換したところです。ホームページを作って駄文を書き始めたのもその一つの現れなんですが…。
でも、筆者のスイレン禅師さんがおっしゃるように、「自分は悪くない。悪いのは世間だ」と言ってみたり、「自分にはチャンスがなかった」と他人をうらやんだりする方は多くなっているようですね。反省しない、謝れない、他人をねたむ、そねむというのは、端から見て気持ちのよいものではありませんし、それでは人格的成長もあり得ないでしょう。
自分の言動に対してなんらかの否定的な反応があるとき、その原因がなんなのかを突き詰めて考えてみると、意外な発見があるものです。あまり自虐的でもよくありませんが、「他人を批判するのは大好き、でも批判されるのはまっぴらご免」という人間にはならないようにしたいものですね。